祇園祭と鈴鹿御前


 昨日、一昨日は関の祇園祭でした。
 畑脇の道を子ども囃子の子でしょう、浴衣に赤い襷で化粧をし、女の子から少女へと変わる年頃の子が、それでも子供らしく駆けて行きます。
 何時もの様に、4時過ぎから、暗くなる7時過ぎまで草取と寒冷紗掛けをすると、宵山巡行を見る元気はありません。

 関の祇園祭の山車は「頑張ってもそこまでが精一杯で大した事は無い」の意味で使われる「関の山」の語源ですが、与えられた場所で精一杯頑張り、自分なりの花を咲かすと思えば誇らしくも有り、これに習おうと思います。
 
 そして、本場京都の祇園祭にも、華やかな前祭に比べて地味ではありますが後祭の山鉾巡業に「鈴鹿山」があり、当地は2重の意味で目立ちはしないが祇園祭で名を残しているのです。

 鈴鹿山鉾は鈴鹿峠の「鈴鹿御前」の人形ですが、残念なことにこの鈴鹿御前の名を知っている人は地元でも少ないです。
 鈴鹿御前は伝説上の女性で、十二単に赤い袴を穿き、頭には立烏帽子を被っていた事から別名を立烏帽子とも言われ、薙刀を持って、鈴鹿峠で山賊をしたり、京の都で盗賊をしたので、坂上田村麻呂に追討令が出されて討伐に鈴鹿山へ赴いたのですが、余りの美女で強い事から田村麻呂はこれに恋して妻にしました。

 そして鈴鹿山に住む鬼の大嶽丸を夫婦で退治するという話ですが、諸説あります。
 この伝説が室町時代に短編絵入り物語として成立した「お伽草子」の一つ『鈴鹿の草子(田村の草子)』となり、広く庶民にも知られました。
 これを基に、仙台を中心にした東北でも盲目の芸能者(ボサマ)や修験者が語る奥浄瑠璃の「田村三代記」が出来て、同じ盲目の渡り芸人と言う事で越後の瞽女達もこの物語を三味線を伴奏に語ったそうです。

 前に書いた様に、ホームページのキャラクターとして鈴鹿御前をAIに描かせたのですが、どう指示しても刃を下にした太刀を佩かせる事が出来ずに、刃を上にした江戸時代の武士の2本差しになるのです。そして履物も平安時代の毛沓が描けません。他に鎧の小手が判らないなど、手で修正するしかありませんでした。

 つぼくさが無事に育って良く売れ、世の女性が強くて美しくなれるよう、鈴鹿峠の麓の片山神社で瀬織津比売神として名を変えて祭られる鈴鹿御前に祈っております(笑)

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